人は言葉を得て何を失ったのだろう

昨日まで雨、雪、風と最悪でした。今日はぽかぽかの春日和です。といってもご覧の通りですが。
Kaiwa
お隣のマロン君と久しぶりの対面です。室内犬なので人の話しはかなり理解できているようですが、まだ言葉を得ていません。直立を得ていないので声帯が発達していないのでしょう。彼らの仲間は皆、人のような言葉を持っていません。しかし人には無い、何かを持っているみたいです。時間も季節も天気もわかるみたいです。ある人は風と話しができ、木々や植物と話しができるといいます。それも何万キロと離れたところからでも理解し合っていたのです。前頭葉で理解する私たちには嘘のように聞こえます。体験したことが無いからです。彼らは人が生まれる前からそのように生活していたのでしょう。自然の中でただ、生を受け入れ、分かち合い、恵みに満足していたのでしょう。
ヨガのサマディは三昧とも悟りとも訳されています。それは「あるがまま受け入れる」ことによって生を満足するとあります。