元気が出る語録

当スタジオでは機関紙「クリシン」を発行していました。今は休刊中ですが、その巻頭には毎回「元気の出る語録」掲載していました。ヨガは体操だけでなく、まして健康問題だけではありません。いかに生きるか、落ち込んでもいい、次に元気になればいいのです。小さな記事やまた人のアドバイス、気づきなどで元気になって行きます。そのための何か参考になる記事を語録として集めました。

青 春
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、二〇歳の青年よりも六〇歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき始めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地に這い、精神は芥となる。
サムエル・ウルマン 「青春」より一部抜粋(平成11年7月vol.9)


青 春 (続)
青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。
・・途中略・・ 
六〇歳であろうと一六歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心
おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓がある。人から神から美・希望・
喜悦・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲歓の氷にとざさ
れるとき、二〇歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波を
とらえる限り、八〇歳であろうと人は青春にして已む。
サムエル・ウルマン 「青春」より一部抜粋(平成11年8月vol.10)


生 命
「生命とは物でなくプロセス。自分自身を作っていく過程です。
生命の本質は成長し、排泄し、物質交換を行い、常に広がってゆきながら、
自分自身をつくりつづけてゆくことです。
そしてそれは細胞によって行われているのです。
細胞膜に包まれた小さなスペースに、3000種以上の蛋白質を持っています。
では誰がこの蛋白質や細胞膜を作ったのでしょうか。
それはシステム自身です。
システム自身が、自分で作ったのです。
なぜか?増殖、成長し、さらに自己増殖するためです。
そしてこの成長、増殖そして最終的に自己再生産を行うという特性は
全ての生命が持っています。
NHKスペシャル「生命」(平成11年9月vol.11)


ライフ・ヒーリング
限りのない人生
満たされ完成された世界
過去には私をおさえつける力などない
これから学んで変わろうとしているのだから
過去は今日の私をもたらしてくれた大切なもの
でも今すぐ取り掛かろう
心の家の部屋を掃除する

どの部屋から始めてもいいのだから
一番小さくて簡単な部屋から始めよう
そうすれば成果がすぐにわかるから
こんなに胸がわくわくしている
二度と同じ体験を繰り返すことはないのだから
さあ自分を解放しよう
私の世界では全てがうまくいく
ルイーズ・L・ヘイ著「ライフ・ヒーリング」より(平成11年10月vol.12)


気づき
判断や批判は一切なく、親身でその人の立場になって心を込めて
聞いてくれる人があれば、人は誰でもだんだんに自分の本当の姿に触れていきます。
まずどんなに人が悪いか、どんなに自分ばかりが運が悪いかをとことん話します。
それを言い尽くすと、今度は自分も悪かったと気づきます。
そして自分でも思いがけないような自分の部分を見始めます。
いままで自分をがんじがらめにしてきた、怒りや恐れ、不安、自責の念、
挫折感や恨みなど、また、ひたかくしにしてきた自分の欠点、恥、
失敗その他いろいろな否定的な感情を素直に話し始めるのです。
この素直さ、率直さが自分を癒す力であることを、
紫苑さんは経験から身にしみて実感しているのです。
鈴木秀子著「死に行く人たちの言葉」(平成11年11月vol.13)


あんたの思ったとおりになる
道をたずねた。
老婆は答えた。
上さまに行けば山。
下さまに行けば海。
どちらに行けば極楽でしょう。
どちらさまも天国。
どちらさまも地獄。
世界はあんたの思ったとおりになる。
メメント・モリから(平成11年12月vol.14)


諸行無常
祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり、
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらわす。
奢れる者久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし、
猛き者も遂には滅びぬ、
ひとえに風の前の塵に同じ
平家物語
 
とどまりたるためしなし
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし
方丈記 (平成12年2月vol.16) 


人生の目的
私たちひとりひとりがそれぞれどうにもならない運命を背負って生まれてきた。
そしてそれにもかかわらず私たちはいま「生きて」いる。
こんな理不尽な人生なんてもうやめたい、とも言わずに、なんとか生きつづけている。
「なんと健気な自分だろうか」と思っていい。
私たちの自由意志や努力や希望など、何ほどのこともないのだ。
人は思うままにならぬ世の中に生まれ、「思うままにならない人生を黙って耐えて生きるのである。
この「生きる」「生きつづけている」というところに、私は人間の最大の意味を感じるのだ。
五木寛之(平成12年3月vol.17)


宮大工棟梁の自然観
  私は木の扱いに関してはやかましゅう言うんですわ。略・・
自然に対する心構えというのがどうしても大事になりますな。
ものを扱う技術も心構えなしには育たんもんですわ。
まずは自然の命というものに対して、もっと感謝して暮らさななりませんな。
今の人は空気があって当たり前、木があって当たり前と思っていますけど、
水がなかったら命がありませんのやし、生命も育ちませんな。
今の人は自分で生きていると思うていますが、自分で生きているんやなしに
天地の間に命をもらっている木や草や他の動物と同じように
生かされているということ、それを深く理解せなあきません。
自分でだけで勝手に生きていると思っていると、ろくなことになりませんな。
こんなこと仕事をしていたら自然と感じることでっせ。
本を読んだり知識を詰め込みすぎるから肝心の自然や自分の命がわからなくなるんですな。
西岡常一 木のいのち・きのこころ(平成12年4月vol.18)


こつこつ
こつこつやろう。他にすぐれた頭でもない、才能もない、体力もない、財産もない。
それでもいいではないか。自分だけがそうなのではない。
生まれつきそういうものに恵まれているのは千人に一人、万人に一人。
あとはみんなふつうの人。
だからコツコツやろう。一日一歩でもいい、前へ進もう。
そして、その一日一日を積み重ねていこう。
一獲千金を夢みたり、きょう一日ぐらいはと怠け心がでるのも、
普通の人間だから仕方がないけれど、そんな時でも最後はやっぱりコツコツに戻ろう。
仕事はもちろんだが、一日十分の勉強でも、五分間の運動でも、
とにかくコツコツ続けていこう。
(出典不詳)(平成12年5月vol.19)


瞑 想
瞑想ということばを最近よく耳にしますが、
いったいそれは何なのでしょうか。
それは誰もが自然に備えている意識の状態のひとつです。
それはわたしたちが宇宙の一部であることを思い出させてくれます。
禅が、お茶や生け花に意識の覚醒を見いだしたように、
あなたの生活のささいなことの中にも瞑想はあります。
あなた(小宇宙)が瞑想のなかにあるとき、
宇宙と共鳴して生きている本来の人間性を感じるでしょう。
(平成12年6月vol.20)


流れる
からだは、いろいろな管の集まりである。
管とは「入り口、通り道、出口」があり、何かが通り伝わっていくものである。
老化とはこの管の働きが悪くなること、といってもよい。
体操はこのような働きをよくするような刺激を与えることに
重点をおいているといってもよい。 野口三千三語録より

からだの管には呼吸の管、消化の管、血液、リンパの管、そして無数の神経の管、
気の流れの管などがある。その管の働きが能力であり、あらゆる力のことをいう。
いつまでもさらさらと流し、流れ続けたいものである。
(平成12年7月vol.21)


「時と解く」
日本の「時」という言葉は大胆に言えば「解く」と同じ語源じゃないか。
ひもがとける、氷が解けるというふうに日本人は時間というものをとらえていた。
それは明治以降の近代化された時間感覚とまったく異なっている。
心を覆っている氷が解けるのを待ったり、いつかは春が来るという期待の時であった。
その「時」は決して急がしたり、速めたりできないゆったりと時間が流れていく、
待つ心が決める「時」であった。
(平成12年8月vol.22)


生きる1
現代は大変な時代である。応仁の乱以来という人もいるくらいである。
我々は何とか生きながらえ生き残っていかなければならない。
それもできたらいきいきと笑顔を忘れず毎日を暮らしていかなければならない。
そこで極限状態の体験をしてきたフランクルの話が役に立つだろう。
「夜と霧」の中には人間の強い意志とか本当の信仰心、あるいは希望、
そういうものをもちつづけなければ生きられないこと、
それと生活の片隅にころがっているような、小さなこともまた人間の生命力を支えていく
大事なものなのだということが印象的に描かれている。
水たまりとか夕陽とか音楽とか、つまり生活のディテイルを愛することがいかに大事かということです。
おけいこごとは役に立たないかもしれないがひょっとしたらぎりぎりのところで
強い生き方ができるんじゃないかということをときどき考えることがあります。
人間が極限状態で生延びていくうえで大したことが無いことが重要な意味を持つことになります。
(注「夜と霧」アウシュビッツ・ナチスの強制収容所の話)五木寛之(平成12年9月vol.23)


生きる2
植物はその生命をまっとうして、葉は枯れて姿はみえなくなっても、
それはただ姿を変えて大地となり肥料となって土をこやしつつ生き続け、
次の新しい生命を育てる力となってめぐります。
人もまた、肉体はいつか死んで土に還りますが、
形が変ってもその努力した汗の結晶とともに思いは大地にしみついて残ります。
いのちも、努力も、愛も、民族の誇りも、死んだらもう消えてなくなったように
見えるけれどそうじゃない。いのちとなってこの大地に脈々と息づいて、
地から吹き上げてきて、私の魂をゆさぶりつつ、はげしく語りかけ、勇気づけてくれました。
ほんとうに生きるとはこれなんだ。
肉体は消えても、消えないものを次の世代に残してゆく・・・。
112歳のおじいさんは、「長寿の秘密は何かとみんながきくけれども、
私は特別なことはしていない。ただ自然にそって生きてきただけだ」といわれました。
(食生活が人生を変える)東城百合子(平成12年10月vol.24)


春は、あけぼの。
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく、
山ぎは少し明りて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。
秋は、夕暮れ。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、
三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。
まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入り果てて、風の音、虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず。
冬は、つとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、
いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。
枕草子 清少納言(平成12年12月・平成13年1月vol.26)


やわらかさ
○変化の可能性があることを柔らかいという。
○体の柔らかさについて、外見的にまっすぐ突っ立ているだけで、
体が曲がらないとしても体の内側が自由自在に変化したならば柔らかいといえる。
これは感情の変化を含んでいる。
癒し
○自分自身のまるごと全体、からだの中身が優しさという生き物になりきったとき
すべての動きを易しく動くことができる。その感じは安らかで休まり癒される。
気分
○私の体操は形じゃない。中身が問題。気分が問題だ。
私は風呂の入る前後にそして最中でもカバになったりおっとせいになったりして
大声でわめいたり、いろんなふうに体を動かす。
笑ったり、泣いたり、どなったり、大変気分がよい。
「野口体操」野口三千三(平成13年3月vol.27)


子豚よ家を出て野を駈けよ
豚もイノシシも同じ種である。つまり豚はイノシシを家畜化したものなのだ。
しかし両者は大変異なった存在である。(一方は)荒々しく、生命力のおう盛さにおいては
第一級のけものであり、(他方は)温和で怠惰なけものの代表のようなものである。
動物にとって一番重要なことは、自分の力で生きることである。
イノシシは四六時中外敵を警戒し眠っていても心も身も緊張させている。
鋭い牙は伊達についているのではない。なくてはならないものである。
ところが、餌は山ほど与えられ外敵もいない豚は生きていくための努力はなにも必要としない。
そこで豚は荒く硬い毛も牙も失ってしまったのである。

家畜化によって起こる変化の研究をしているドイツのヘレ教授によると、
豚の脳は脳容量が小さくなり、後頭葉の委縮が甚だしく、溝が少なくなって単純化するなど、
脳の構造が低質化するという。
この話は、現在の子ども環境と発達という問題に、大変示唆的である。
つまり、子供たちをとりまく環境はますます人工化し、小さな部屋に安全に閉じ込められて
親の強い管理下におかれているという状況は、まさに子どもは飼育され家畜化が
促進していることを示しているからである。
ということは自分で生きる努力を減少させられた子どもたちは、危険に対する防衛反応の低下とともに、
脳さえ低質化する可能性をはらんでいるおそれが十分あるということではないか。

子豚よ、ぬくぬくと安全な家を出て、野を駈けよ。牙を研ぎ足を鍛え、泥水も飲み山芋をかじれ!
おまえの先祖、イノシシの血を呼び戻せ。
望猿鏡から見た世界 河合雅雄 (平成13年6月vol.28)


路傍の石
  「たった一度だけしかないこの人生を、たった一人しかないこの自分を、
本当に健康で、幸福に生きなかったら、人間に生まれてきたかいがないじゃないか」
山本有三(平成13年11月vol.29) 


荒城の月
  春高楼の 花の宴(えん)
めぐる盃(さかずき) かげさして
千代の松が枝(え) わけいでし
むかしの光 いまいずこ

秋陣営の 霜の色
鳴き行く雁(かり)の 数見せて
植うる剣(つるぎ)に 照りそいし
むかしの光 いまいずこ

今荒城の 夜半(よわ)の月
かわらぬ光 たがためぞ
垣にのこるは ただ葛(かずら)
松に歌うは ただ嵐

天井影は かわらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
写さんとてか 今もなお
嗚呼(ああ)荒城の夜半の月
土井晩翠(平成14年6月vol.30)


五輪書
千日の稽古を鍛とし、
万日の稽古を練とす。
能々吟味有るべきもの也。
宮本武蔵(平成14年7月vol.31)

ごりんしょ
せんにちのけいこをたんとし、
まんにちのけいこをれんとす。
よくよくぎんみあるべきものなり。

鍛練の意味を伝えている。稽古とはくり返しすることで好奇心を湧き起こしまた稽古に励むくり返し。
そこに感覚の鋭敏さが研ぎ澄まされ動きの質的量的変化が生まれてくる。
この感覚の鋭敏さに限界はないし、切磋琢磨する人間の可能性が無限であることを示している。
ヨガのポ-ズも呼吸法も同じである。


夏は来ぬ
一 卯の花のにおう垣根に、ほととぎす、早もきなきて、忍びねもらす
夏は来ぬ。

二 さみだれのそそぐ山田に、早乙女が 、裳裾(もすそ)ぬらして、玉苗うるる
夏は来ぬ。

三 橘のかおるのきばの窓近く、蛍とびかい、おこたり諌(いさ)むる
  夏は来ぬ。

四 楝(おうち)ちる川べの宿の門遠く、水鶏(くいな)声して、夕月すずしき
夏は来ぬ。

五 さつきやみ、蛍とびかい、水鶏なき、卯の花さきて、早苗うえわたす、
夏は来ぬ。
(明治29.5)「新編教育唱歌集4」作詞・佐々木信綱(1871-1963)
 
  100年ぐらい前の日本の風景を読んだ歌です。言葉も風情もすっかり今と変わりましたが、
  日本人の中に遺伝子としてしっかり受け継がれていることには違いがありません。
  読めない字もありますがこの情景を思い起こすだけで心が豊かになるような気がします。
  簡単な注釈をすると(夏は来ぬ)は否定ではなく完了をあらわします。
  梅雨明けの田植えをしている様子を歌ったもので夏鳥のほととぎす、水鶏(くいな)が鳴いて、
  蛍や楝(おうちはセンダンの古い名前)の花が川辺に散っている、初夏の様子が表れています。
  (平成14年8月vol.32)
 

  正法眼蔵   道元
  しんじんだつらく しかんたざ
  身心脱落  只管打坐
 
仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、 自己をわするるなり。
  自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、
  自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
 
  あれこれ理屈をこねまわすよりも、ただひたすら坐ることによって、心身が脱落していく。
  不要なものを徹底的に落としていく技が、坐禅である。道元の志は、徹底している。。
  百尺もの長さのさおの先頭まで行き着いたとしても、そこから先にさらに一歩進めよと言う。
  そこで慢心したり不安を抱くのではなく、一歩踏出すことで世界全体が自分の身体と重なる。
  捨てることによってこそ、体得するものがある。
  注)身心脱落 こだわりを捨てる  只管打坐 ひたすら坐ること
  「声に出して読みたい日本語」から抜粋(平成14年9月vol.33)


  「六中観」
忙中閑あり
(多忙の中にも安らぎを)
苦中楽あり
(苦しい中にも楽しみを)
死中活あり
(死ぬような中にも活路を)
壷中天あり
(壷に閉じ込められても天をうかがう)
意中人あり
(人を活かして用いる)
腹中書あり
(いつも学ぶことを忘れずに)
歴代総理大臣の顧問の役割をした、安岡正篤氏の「六中観」についてです。
「六中観」は中国の古典をベ−スとした六つの教えで、考え方を大きく変えるヒントになります。
(平成14年11月vol.35) 


「自助論」
思いの種をまき、行動を刈り取り
行動の種をまいて、習慣を刈り取る
習慣の種をまき、人格を刈り取り
人格の種をまいて、人生を刈り取る

(1858)サミュエル・スマイルズ
ことわざ「天は自ら助くる者を助く」で有名。
(平成14年12月vol.36)


クーエ式暗示の基礎
公式   『毎日、あらゆる面で、私はますますよくなってゆく。』

規則正しく公式を繰り返すこと。信頼を込めること。努力しないこと。
一回につき20回繰り返すこと。一日何回も思い出すたびに繰り返すこと。
エミール・クーエ(平成15年4月vol.37)


頑張らない
あきらめない
希望を捨てない

「あきらめない」から

ヨガの標語
無理するな
無駄するな
続ける

病気に対する、人生に対する心構えの標語であるがヨガにも同じ内容がある。
気づかない悲鳴は必ずどこかに緊張を強いている。楽しみを探す作業こそいつも持っていたいものだ。
(平成15年9月vol.38)


「人はだれでも自分の中に湖をもっていて、その深さとか色調とか透明度とかを、
その人の生の最後の一瞬まで、加えたり変幻したりしている。
人に話をするということは、その人の中の湖に話をすることであるように思える」  社会学者 見田宗介

「元気になれ、がんばれというメッセージが多すぎる。・・・
みんなが毎日ハイになることないやんか。元気がない人もいてええんや」
数学者 森毅  天声人語 最近の言葉から(平成15年10月vol.39)


夢の定義
夢は見るものではない。実現させるための目標である。
その為に、今何をなすべきかを冷静に考え、できる事は即座に行動する。
『我がまま』は夢ではない!
その考え方の持ち主や、それを助長させる行為は 徹底的に駆逐すべきである。
人を愛せ 人を信じよ 人を生かせ 人を褒めよ。
もし、夢に挫折しそうな者がいたら、あらゆる手段で上を向かせよ。
その為なら、鉄拳制裁もやむを得ない それこそが、真の愛情である。
全てはフェアプレーで行われるべきであり、 その上でライバルに優れた点があれば、 率直に認め、学び、吸収せよ。(星野仙一)

愛の行者になる誓い
人間として一番大切な生き方、それは愛の生き方であります。愛とは正しく生きることに協力することであります。
ただ今からの私は正しく生きることとは何かを学ばさせていただき自分のため他の一切のために正しく生き正しく伸びることに協力させていただく生き方を実行することを誓います。(沖ヨガ行持集から)
(平成16年7月vol.41)