2/18 日曜日
ベッドが下から上の段に変わった。上はハシゴを使って登らなければならない。腕の筋力を使うので筋トレになります。上がってしまえばあとは同じで、下よりも密閉感があります。
船はハリケン域に入っているためか大きな波がうねりとなって船とぶつかり白い波となって砕けていきます。
明日寄港するヌーメアはニューカドレニアにあり、フランス領です。そして入港するとき、ハリケンが過ぎた後なので、波がまだ高いようです。気温はさすが南太平洋、暖かくなりました。
ネットが十分使えないので何も調べることができませんが、ヘミングウェイの「老人と海」のローケーションだったような気がします。
ところで船の中ではいろいろな催しがあり昨日は「パレカレカ運動会」がありました。はじめは参加マンマンだったのですが、同時進行の映画「オデッセイ」があり、そして午後にはアクション映画「ラストミッション」があり誘惑に負けて、参加しませんでした。
このように、船の中では映画をいろいろ見せてくれます。朝は「プロジェクトX」で昔の日本再建につながる番組を上映します。大変人気で小さなスペースがいっぱいになり、ラストのナレータでは目を抑える人が続出しています。会場で見ている人の年代が、同じくらいなのでしょう。20万トンタンカー製造の話、名神高速道路を作る話、安かろう、悪かろうを外国で返上したソニーやマツシタ、日産、MINOLTAなどの営業マンの話、新幹線を263km/hrで走らす内容です。
確かに、オセアニアで店の人やタクシーの運転手さんたちでも日本に行った、働いたなど言ってくれます。そして寿司、うどん、ぞば、丼は中身は別にしても無い町はありません。小さな島国であること、戦争にコテンパンに負けたことがエネルギーになって世界のニッポンになれたことに、先駆者の働きに感謝します。今日は青函トンネルの話です、また泣かしてくれるでしょう。
2/16
2/16金曜
オークランドの一日はばったり知人に会い、rangitoto islandに行きませんかと誘われました。この島は400年前に噴火し、いたるところに溶岩流があります。この島全体が保存され観光的なものは何もありません。ひたすら山登りです。
登ってくる人人たちは若い人ばかり。年寄りグループは私たち三人だけでした。きつかったけど山頂のパノラマは限りなく広がっていきます。
バテバテで4時頃オークランドに戻り、アイスクリームを食べ船に汽船しました。
今回のオークランドは街をまったく巡っていません。はじめは博物館とか、美術館とか、スカイタワー、いろいろ算段しましたが、行けずに残念です。
この船も20:00出航なので急いでブログを書き上げました。
2/15
2/15明日はオークランドに入港します。ニュジーランドの北島と南島の間を西から東へ抜けるのです。少し暖かさが戻ったような気がし、今は春の装いです。
船の中では社交ダンス、囲碁、将棋、麻雀が盛んで、選手権大会もあります。昨日の夜はパーティディと称しみなさん着飾ってディナーに着きます。私も同宿者も知人も普通の格好で、ジャージ、サンダル「御法度」のはずがいつものように食事ができたようです。そしてワインも無料で振舞われたとか。わたしはちょうどお腹壊してパスの状態でした。考えてみたら、美味しいところではいつもこんな目にあいます。歓迎パーティーではステーキが出たのに、船酔いでアウト。そして今回です。残念です。
あすは最後の文明国、オークランド。ステーキ食べるぞと意気込んでいましたが、これは食べれそうでありません。
2/13
2/11
2/11 日曜日
昼過ぎにリトルトンに到着。3000人の小さな町です。クライストチャーチの外港としての町です。下船後しばらくリトルトンの町を散策。小さなマーケットもあります。「生」と書いた寿司屋もあります。日本にゆかりのある人なのでしょう。こちらの寿司はほとんど生寿司はありません、のり巻きであったり、シャリの上にてんぷらみたいなものがのっています。リトルトンの繁華街はその「通り」だけであとは住宅地でした。雨が降る中、クライストチャーチへ行くか、迷いましたが、仲間から外れ、バスで20分くらい揺られてニュジーランド第二の都市に着きました。
4ドルです。乗合いバスで30分に一本なので1000人は無理だということで、ピースボート側ではバスをチャーター10台予約しましたが往復3500¥もします。これは辞退しました。
まず行くところは「カンタベリー博物館」です。バスから降りた日本人はどんどん少なくなり、あれっと思ったときは誰もいません。ここはどこ?と焦れば焦るほどわからなくなり、テルミーミュージアム?を2回ほど繰り返したら、日本人、中国人がいっぱいいました。やれやれ。無料です。写真可です。メルボルンと同じく、生命、人類の歴史、世界の歴史では、江戸時代のサムライ、浮世絵などが展示してあります。
数年前(2011年)のカンタベリ大地震で日本人も被害にあったところですが、被害の記念として、カゼラルスクエアとして、崩壊されたままの建物であります。
ようやく現在地を確認してから、カードボートカセドラルという紙で作られた教会を訪問しました。ここはカゼラルスクエアにあった仮設大聖堂です。
せっかく、街に来たのだからとピザとコーラを注文。周りが、若いカップルばっかりの小さなお店。ピザを2ピース注文していたので、同様に頼みまします。かなり量が多い、「失敗」と心うちです。
そして無事にバスターミナルに到着。バスにて帰港しました。
船は23時にリトルトン港を大きな汽笛を鳴らして出航を夢の中で聴いた気がします。
実はニュジーランド当局の検閲のために入港したわけで、これから再びフィヨルドにもどることになりました。
2/10 土曜日
2/9 金曜日
2/9 金曜日
寒くなったきました。海はないで静かな海を10マイル、18km/hrでゆっくりと南端、フィヨルドに向かっています。北欧のような深さはないが景観は素晴らしいとのこと。明日はガッチリと三脚を出して写真を撮るつもりです。フィヨルドは南緯41度札幌と同じ緯度です、南端は47度になるので、日本にはありません。白夜ではないけれど、地平線にオーロラが見えることもあるそうです。
7時のディナーまで時間があるので、バーパノラマでダウンを着て最後尾の航跡をながめながらワインを飲みました。
2/8 木曜日 船は東に
2/8 木曜日 船は東に進み、ニュジーランド、南方のミルフォードサウンドに向かっています。外の海上ではかなり寒くなっています。南極にちかずいているからでしょう。ニュジーランドの南端はオーロラが見えることもあるそうです。見えたら、ラッキーです。
今日は避難訓練がありました。信号汽笛が鳴り、アナウンスがあると、ライフジャケットを持ち指定の場所に待機します。船長から、これは訓練です、を繰り返し、船体離脱の用意と言われるとゾッとします。船長は英語で何言ってるのかわからない、そして続いて日本語です。1時間待機してhave a nicedayと聞いた時ホッとしました。
あとはいつもの船内生活に戻ります。何もすることない、社交ダンス初心者コース見にいったけど、上手い人ばかり。
10階の一番上に行くと風が強い、寒いですぐに8階のたまりばへ行きました。本、新聞、簡単なイベント、娯楽マージャン、碁、将棋などのテーブル、たくさんのイスが置いてあり、本を読むのもよし、ポケッとしても良し、パソコン作業良し、おしゃべり良し、近くの部屋からは、夜はバーになりますが、どういうわけがその種のバーが三つもあります。そこからうたごえ、ハーモニカ、ギターなどの練習曲が聞こえます。手品も手芸やっている人、男女もちらほらです。
飽きると部屋に戻って、友だちと話ししたりテレビ映画見たり、あるものは昼寝してたり、とにかく何もないのです。
わたし?。適当に退屈しています。前に自主企画で2回ほどヨガやりましたけど、申し込みが面倒でやめていたら、前の参加者がやりたいので、企画書出すのでやってほしいと言われていました。それでまだ先ですけど、またヨガが開催されます。
今日の夜は時差を又1時間ずらして日本との差は4時間進みます。シドニーは2時間でした。
シドニーの街
2/6 火曜日
シドニーの朝は肌寒いが今日もいい天気です。同室者四人とシドニーの街をまた、歩きます。皆でワイワイしながらどこ歩いたかわからずじまいで24000歩歩きました。昼ごはんはオーストラリア最後だからステーキを食べたいねと探しても見つからず、他の者は寿司、わたしは唐揚げ弁当でした。
博物館、現代美術館とかロックスという街で一番初めに開けたところ、そして天文台など、一応めぐりました。両替店を探すのに手間取り、シドニー市内を周回するサイトシーイングバスに乗る予定が無しになり、早めに船に帰還です。
この船は今日8時に出航します。そして四日後、2/10土曜日ニュージーランド、南の方のミルフォードサウンド遊覧があります。船からの見学ですが入江の深いところを航行します。おたのしみに。。
シドニー到着
2/5 シドニーに着きました。世界三大美港の一つにふさわしく、深い入江に囲まれた光景は二日間の海ばかり見ていたので感動です。
皆は砂岩の景観、ブルーマウンテンズにバスで片道2時間のところに出発しました。私はまたシドニーをぶらつきます。といっても、今までの都市と違い、まず大きい、道が複雑、バス電車の乗り方がわからないのです。
まずは、オペラハウス。テクテクと歩き、中は入らず、植物園を通ってオペラハウスを撮影するベストスポットまで移動。それから又テクテク、シドニータワー。シドニー全体を見渡せる景観。ここで同船の人に会い、1日乗車券の買い方教えてもらって、タウンホールというところでopal cardをゲット。言葉が通じないので、何するのにも二回三回と聞かなくてはなりません。電車でセントラルst.へ行き、ウロウロ。バスでマーティンst.へ行くのも、聞いてバスまで止めてくれ、乗り方教えてくれて、中国の学生さん、ありがとう。バス中では降りるタイミングが遅れて、アナウンスはないし、とんでもないところ連れていかれて、又戻り、疲れ果て、帰るフェリーハーバーではもう船はないといわれ、夕陽の暑さだけがジリジリ焼いてくれます。タクシーで20弗、カードで払うので、領収書もくれないので不安。
大変疲れた1日でした。夕飯のビーフカレーとビールが美味しかった。