ホバート散策

 

ホバートの街は小さな街で、大抵のところは歩いて行けます。いちおう、端から端まで歩いて27000歩、ぶらぶらで4-5時間歩きました。
繁華街はけっこう、広くメルボルンと同じく、道路に名前が付いているのですが、ある小路に入ったりして出てくると、道に迷います。小路はたくさんあり、その中に〇〇スクエアなどと広場になっています。また小路の中で階段になって登って行くと、ショップなのか事務所なのか、それとも住宅のようなところに出てきます。イギリスの19世紀の街はこんな形だったのでしょう。そしてありがたいことに、トイレがはっきりわかるように表示され、きれいに保たれています。また郊外の公園では掃除も行き届き、危険な金属片などを探して取る作業もしていました。芝生に素足で歩いても安全です。
食事はここでもサンドイッチをパン屋さんで買って、広場の店先でジンジャービア、アルコールはない、を飲んで、腹一杯になりました。すこし硬めのバン生地に野菜をふんだんに刻んで、大きなハムを巻いてこぼれないように包んであるのです。
そしてけっこう早く、帰船し、皆でカサブランカというバーで皆と飲み、船は夜の10:00にホバートを出航しました。

ホバート着

2/2 ホバート着。6時着岸だから、日本では4時になる。天気は曇り、きおんは18-14℃だそうだ。ツアーに行く人はどんどん出かけて行くが、早く出かけてもどこもやっていないので9時くらいまで船で待機する。タスマニア島は北海道の8割の大きさで人口は25万人。オーストラリアで二番目に開かれた街であると。小さな街なので全て歩いてまわれそうだ。さあ、そろそろ出かけるか。

メルボルン着

メルボルン着。まず冬服を買いに行きます。写真のように曇り空。ときどき雨。

オーストラリア第二の都市。以前は首都だったそうです。

メルボルン に着きました。気温は低く、曇っています。20-14度の予想です。今日は相棒が風邪を引き、単独行動です。トラムに乗ってメルボルン 博物館、王立展示ですが後者は見学できません。博物館は22ドルが年齢で無料。大きな会場でとても全部見て回れません。地球の歴史、生命の歴史、化石、そしてオーストラリア特産の鉱物資源、宝石の説明もありました。オパールは突出してブラックオパールは特別らしい。3Dを使った地球の誕生や生命の歴史など面白く、うまく製作していました。

次に歩いてクインビクトリアマーケットなど散策。腹が空いて、昼飯探すが中国、和食系統が多く、寿司屋もたくさんあります。寿司といっても一個づつの握り。当然まともな寿司ではありません。天ぷらであったり、かまぼこカニなどです。人だかりで人気あります。まず3個食べました。一応食べれる内容です。でも寿司ではない。一個200¥。しばらくしてハンバーガー、卵焼き、鳥唐揚げ、ほかほかが入って10ドル。普通サイズは訂正して小さいのにしてもらつたのの二倍あります。恐ろしい。

船の中は相変わらず寒い。今はユニクロの薄いダウンを着ています。当然ズボン下もはいています。そんなわけでフリーマントルに続いて厚手の上着買いました。
メルボルン をトラムに乗ったり、間違って反対方向に行ったりで、市内を満喫しました。ユーレカデッキという88階のタワーにも上がりました。

ヤナ川の川辺でオーストラリア産のワインもいただきました。11ドル。さすが人口二番目だけあって人が多い。どこの通り、行ったのは2-3本ぐらいだけど札幌のエスタ、パセオがずっと続く感じ、京都の河原町近辺の感じです。もう知らない街だけど推測です。
ということで、よく歩いて27000歩とがんばりました。
それでは次回、2/2タスマニア島のホバートです。

アデレード散策

アデレードの街を散策しました。アウタハーバーに船がついてそこから一日中乗車券を購入。そして友人がハーモニカが欲しいということで、グッドウッドという街はずれまで電車でいくが、短い、小さいのしかなくまた街まで戻りました。中心のビクトリアスクエアで下車、ハンパーガー他が昼飯。歩いて聖ピータ寺院に行き、ゴシック調の建物を見学。ヨーロッパよりかなりスケールダウンしているのは仕方がないことです。歴史がないのでくから。途中でみやげのチョコを買う。雨が降ってくるが地元の人たちは傘をささない。移民博物館やアデレード博物館をめぐります。街が小さいので、もういくところがない。5時になったので帰ることにしました。

言葉は片言。尋ねると、喋りまくるが全くわからない、そうするとボディーランゲージで教えてくれます。向こうの人がイチ、ニィ、サン本目レフトなどと。スムーズに話ししたいものだ。携帯の地図がなければ完全に迷子になります。

 

 

 

21:00頃アドレードを出航後明後日、メルボルンです。

航海中の生活

船の中の生活は、港に着く日は、準備で忙しい。地図の確認、スマホ、ワイファイ端末の充電、接岸風景の見学、撮影。接岸すると2時間くらいして、下船の案内があります。1000人が順番に降りるのでまた時間がかかります。船の出入りにはI.D.カードを提示して読み取ります。このカードは簡易パスポートの役割にもなっています。

出航の時は、また2時間かけて港から離れます。港の管理事務所の指示やタグボートの手配、そして船の修理などで結構戸惑っています。

話によると、この船で3日ぐらい漂流したこともあるそうで、6年前に前の船など二週間漂流したとか。船の中は経験豊富な人がいろいろ教えてくれます。

 

航海中の生活は、三ヶ所のレストランが少しずつ内容を変えて、時間もずらし、おいしい食事が楽しめます。バイキングなので、量を少なくすれば、三ヶ所回れます。朝は6時、6:30、7時から食べれます。

昼は麺類のところ、ハンバーガーのところ、そしてフォーマルな4階リージェンシーのレストランでは朝昼夜とたくさんのウェイターのリード、乗ったお盆を持って席に案内してくれます。

昼はバイキングですが、コーヒーまたはお茶を注いでくれます。この部屋の夜はフルコースの食事です。デザートまでつくのは驚きでした。少し肩苦しくラフな服装禁止です。ここでは朝はピアノ演奏付きですからリッチな気分が味わえます。夜に四人が集まって食事をするのもこのレストランですが、わたしは他の食事は9階のラフなレストランが多いです。

9階には2つあり、一つは外で食べるところがあります。そしてあと一つは夜は波平という居酒屋になるレストランがあります。それぞれバイキング形式です。食事はどこで食べてもおいしいので、年配のひとが船に乗るリピーターが多いのはわかります。どこのレストランも手早く、食べ終わった食器を片付けてくれるので、食卓はきれいです。

テーブルで一緒になった人と会話をするのも楽しいひと時です。

あと一つは3時のティタイムが波平のあるレストランでケーキとお茶が出ます。コーヒー、紅茶、ほうじ茶、緑茶などです。ケーキも食べ放題なので女性たちの中にはたくさんとって部屋に持って行く人もいます。

と、こんな風に書きましたが、三週目になったわたしはそんなに食べていません。朝はジュース、ヨーグルト、くだもの、パン、野菜の炒め物、時には卵料理、コーヒー。書いて見るとたくさん食べているようですがトレイに乗る半分のお皿が6当分されその上に、食材を載っけていきます。

昼は適当。うどんとか、ティタイムはとりません。

食事は満足。クルーを含めた1400人の献立を作る、食事を作る、配膳するってすごいと思います。

 

パースへ

1/25. 風邪から回復。ツアーでフリーマントルからパースへ。途中、キングスパークで休憩。戦没者慰霊のモニュメントが大きくスワン川に向かって立っていた。1901年独立後、イギリスが参戦したすべての戦争に参加しています。第1、2世界大戦では無数の名前があり朝鮮戦争では30人、イラクでは1人の義務と名誉ある戦死とありました。

パースの北部にある〇〇ワイルドパークで動物園入場。

それではフリマントル、パースからお別れして、次回は1/29 アデレードにて。

 

フリーマントル散策

1/24. フリーマントルを三人男女で街をぶらつきました。船の中は寒いので、厚手の長袖を60オーストラリアドルで買いました。おばちゃんがまけろといったら5ドルまけてくれました。大阪のおばちゃん、まだ不服です。熱が出てふらふらの状態で刑務所見学です。暑い。街中、暑くて歩けない。東京の真夏だからさもありなん。21ドルと高い、ちょっと見て帰ろうと思ったら、説明する人が来て、日本語の説明機械を貸してくれて、全館見回った。
ハーモニカも買ったが8ドルと安すぎる。当選音もそれなり。
バテバテでタクシーて12ドルで船に帰り、エビカレー食べてバタンキュウ。

東南東へ

1/24 水曜日船は一路フリーマントルの港を目指して東南東に船首を向けています。到着は12時頃です。
船の中は風邪、インフルエンザが蔓延しています。私も風邪を引きました。
一昨日くらいからハーモニカの練習をしています。港からすぐにあるパースは大きな街なのでハーモニカを買うつもりです。5-60年ぶりです。楽譜見なくても、読めなくても、音を探して吹いています。
フィリピンやインドネシアあたりでは島嶼の間を進むので船の揺れが少ないですが、インド洋など大海に出ればけっこう揺れます。私の船室は5階前方で穂先の海面部分なので、ガン、ガンと波が当たるのです。前に書いたように、船が壊れそうです。30年以上使っているとのこと。多くのメカニック関係の船員が沢山います。いつもどこか直しています。

今回は特に年配者が多い、そしてリピーターが多いとのこと、フルクルーズ(世界一周)、ミドルクルーズ(オセアニアのような地域限定)ショートクルーズ(1週間ぐらい)とあって全部合わせて20かという人もいました。ご飯を食べているとき、隣の人が、動く養老院、だと表現しましたが、あってるなと思いました。この船の中で数人が毎回死んでいるとも聞きました。死ぬまでクルージングするという人もいます。

バリ散策

1/19 バリ着。3日間の海上生活から陸地へ。バリはイスラム国の中でもヒンズー教の強いところでガルダ、ガネーシャの像が沢山あります。この二日間はツアーに申し込んであるのでのんびり見学。今時は雨季なので、いつも雨が降っています。ティルタエンブル寺院、ピンズーの寺は世界遺産に登録されたくさんの観光客。そして欧米人の沐浴風景を多く見ました。私はおでこにちょっと水をつけただけ。きれいな山水が湧いています。その山の上を見ると、スハルト家の別荘がありました。
初めて外の食事をしましたが一流ホテルのコース料理も口に合いません。

ホテルの名前はディスカバリー カルティカ プラザ ホテル バリ
Discovery Kartika Plaza Hotel Bali
夜になって入ったので景色は何も見えなかったけど、風景明媚なところにあるそうです。