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朝起きると、ゆっくりと横浜港に向かっています。やたらクレーンが多く、他の国には見られない光景でした。やっぱり横浜港は貿易港の特色を強く出ています。シドニーも大きな港ですが観光用の港とと感じました。基隆もクレーンが多くありました。

港に入っていくとたくさんの大小取り混ぜた船が行き来しているもの他には見れれませんでした。ブリッジをくぐるとそこは港です。やれやれといった感じがまず出ました。

いろいろな人にまたクールーズしますかという問いにこれまたいろいろです。次をすでに申し込んでいる人もいれば、途中で帰りたいという人も。私は寄港地にもう少し長く居たい、あまりにもさっさと通り過ぎた感じがありました。それはそれでいいのですが、今度はここをじっくりいって見たいという選択する材料が出来たと思います。

何はともあれ、日本に帰ってきた。羽田空港でまずそばを食べました。味付けの全く違う蕎麦は、日本ならではです。

今までご拙い文章のブログの閲覧をありがとうございました。

後日、誤字脱字、写真など吟味して再登場することをお約束します。

羽田空港、出発ロビーの待合室にて。

3/3 土曜日

船はドンドン北上しています。気温もずいぶん下がりました。8ころ鳥島が見え、そして午後には八丈島も八丈小島の間を通過しました。もうこの辺りから携帯電話の通話ができます。海の上なのにすごいと思います。

発送用の荷物の梱包を終え、大型の荷物も係員の人が税関審査まで持って行ってくれます。部屋にたくさんあった物がなくなりスッキリしました。

あとは手荷物として帰宅してすぐ使うトランク、パソコンほかのザック、カメラバッグがあります。ヨガマットは廃棄、寝まき兼ヨガウエアも廃棄、使い古した物すべて廃棄。

さて八丈島は家の所々から暖房用なのか煙があちこちから出ています。住んでいる人は8000人くらいですから大きな町です。

3/2金曜日

昨日の夜はファウェルセレモニーでワインを片手におつかれさま、でしたありがとうございましたと、船長以下スタッフの紹介があり、カンパイしました。二杯目は残念ながらありません。船を動かす組織として機関長、航海士、船のメインテナンス作業、ホテル機能、各部屋のハウスキーパー担当責任者とレストラン機能「コック、ウェイター」の責任者、医師、看護師など10名くらい、そしてピースポート関係者、通訳、船の中での企画担当者、毎日の船内新聞や記録、テレビ情報担当者など50名くらいの紹介がありました。
そしてディナー会場ではコック、ウェイター、ハウスキーパー、総勢250名の紹介があり、彼らの「We are the world」は圧巻でした。アンコールまで出ました。
以上のところ写真はありません。
着替えをしたので写真関係忘れました。かえすがえす残念です。
食事は前菜がいくつか、そして牛胸のサイコロステーキ、これはめちゃくちゃ美味しかった。
料理担当者はこういった料理を毎日、朝昼晩3回3カ所で時には内容が違うものをスタッフ入れて1400人分を作るのですからすごいものです。そして火を使うことはできません。すべて蒸気、電子レンジで作ると説明がありました。
さぁ、今日も時間調整しました。これで日本国内と同じになります。
8時から硫黄島を周航します。最後のイベントになります。しっかり写真を撮ります。硫黄島は南硫黄島というのがあって海岸から円錐形にそびえています。そこから1時間経つと平らな島と端に山がある島これが硫黄島です。山はすり鉢山と呼ばれ米軍の艦砲射撃で形が変わってしまったと言われています。
ここは現在自衛隊基地になっていて民間人は入れないそうです。韓国みたいにいつのまにか島を占領されかねません。日米の激戦地でもありました。
船は横浜に向かって北上中です。日本の寒波はここまで影響があり、甲板も船内も寒いです。皆さんダウンを着たりジャンパー姿が多くなりました。
船の中は催しはすべて完了してヒマヒマな人が多いです。そんな中船では乗客以外の関係者による避難訓練をしています。すべて英語です。「船長から船体放棄の指示がありました。関係者は救命胴衣を着用してそれぞれの部署で待機してください」とアナウンスや信号が鳴り響いています。
実際、そのようになればゾッとします。

2/28~3/1

2/28 水曜日
今日の昼、船はグアム、サイパンの横を通って北上しています。同時に波が荒れてきました。あと4泊で離船です。船の中はそんな慌ただしい雰囲気です。まだ見所は硫黄島です。テレビ映画でもクリントイーストウッド監督の硫黄島を題材にしたシリーズを放映していました。
ここだけでなく、南太平洋の島々では日本兵だけでなく、アメリカ人も現地の人も大きな被害を受けました。
食事について、1000人以上の人に提供するのですが、いつも手がこんでいます。簡単にすませるところとディナー形式があります。ディナーでは前菜
メインデッシユだけでテーブルに皿が4つくらい並びます。そしてライスであったり、パンであったりテーマによって変わります。最後は甘みのお菓子かケーキか果物が付きます。そして飲み物です。アルコールを飲む人は注文するともってきてくれ、キープしてあるものは氷、又はお湯などとサービス満点です。お金はかかりますが。。

3/1 木曜日
気温は下がり、波が荒くなりました。しかしまだ外のデッキに出て海を眺められるくらいです。ゆっくりした、大きな波が船を襲うたびに大きく揺れます。あんまりスタビライザー(安定翼)は効いていないようです。今日は船長主催のファウェル セレモニーがあります。いつもは綿パン、Tシャツなどですが今日はプレザーでも着込んでオシャレするかなと、ただ服が変わっただけのいでたちです。
ディナー形式の部屋は500人しか入りません。それでIDカードの番号で5時からの人、7時からの人に分けられます。
このIDカードですが、実によくできてて、部屋に入る時のキー、下船、乗船のチェック、自販機、買い物などすべてこのカードです。買い物の時はクレジットカードから連動され引き落とされます。船の中では一切現金不要です。まとまった請求書が恐ろしいですが。

2/26 月曜日

2/26 月曜日
昨日の夜10時に船は赤道を越え一路、横浜に向かっています。
船の中ではそろそろ、各種発表会の準備に忙しいようです。水彩画、社交ダンス、玉すだれ、各種楽器演奏、フォークダンス、編み物、小倉祇園太鼓、等々。
私はハーモニカをはじめ少しやり、パース沖のフリーマントルで8ドルで買ったとたんに興味をなくし、引き出し奥にしまってしまいました。ハーモニカは小さいころ鳴らしたこともあり、「感」で鳴らすもの、何も習わなくてもと思ってしまったのです。ただ勉強になったのは舌で目的音以外をふさぐのが正しい吹き方だと教えられました。
発表会の花形は社交ダンスです。練習を見ていてもカッコイイのです。しかしペアーの練習は大変で時間さえあれば、あちらこちらで練習しています。いったんペアーができると一人でするのと違っていいかげんにすることはできません。その苛酷な練習の結果、晴れ舞台で踊ることができるのです。関わらなくて良かったと見ていて思いました。
ディナーはドイツ料理でした。前菜は(クレームブリュレ〕野菜と何かをキザンなもの、メインは豚肉の揚げもの(ポークシュニッツェル)ですが、薄くてぞうりの大きなものでした。食べれるかなと不安でしたが薄いのととんかつソース、マヨネーズを基調にしたソースがうまくてあっという間になくなつてしまいました。
そして今日は発表会です。水彩画だけでなく、切り絵や人形などの作品展が所狭しとと飾ってあります。
そして36の団体の披露です。友人がハーモニカ同好会に入っているので、写真におさめました。