腰膝を楽にし関節を柔らかくする考察副題 ---構えない---
地下鉄の階段などを下りるとき、いろいろな降り方がある。用心深く一歩一歩踏みしめるように降りる。又反対にすばやく降りる。
どちらが楽に降りれるだろうか。そしてどちらが膝に負担が来るだろうか。
階段を早く降りたほうが楽であるし膝にも負担が来ない。もっと楽なのは上から下まで落ちることである。落下点でのできごとは知らないが落ちている間は一番楽である。何も負荷がかかっていない。しかし落下点での悲惨は待っている。この悲惨にならないように、降りるとき、それは「落ちるがごとく」降りるという形容になる。(実際、早く降りるときは危なくないように横に手すりがあるところで行っている。)別の降り方もある。それは「跳ねるように降りる」があるがまだ体に対する実績不足なのでコメントは差し控える。。
登山でも重い荷物を背負って降りるとき膝が笑うと言われる。山から下るときは早く下りたほうが膝に負担が来ない。でもスピードがつきすぎると危険である。それは兼ね合いであろう。
徒競走の「よーい、どん」も足でけってはいけない。転ぶようにスタートすると早く走れる。重さで転ぶがごとく倒れると脚が自然に出る。無駄なエネルギーがない分早くスタートできるのだ。
階段を下りるときは体重を適度に支えながら降りるわけだが強く支えると膝や腰にショックとしてかなりの荷重がかかる。先の落ちていくときの腰、膝の加重はゼロである。用心しすぎると構えすぎて体の負担が大きい。寒い時だって体を丸くしていると幾分寒さが和らぐが、温かくなっても体を丸しているのは肩こり、腰痛になってしまう。
ここでヨガのポーズをつくるときの話になる。慣れない動きやポーズをつくると動かないし痛みが走る。無理に動かそうとすると大変な痛みになる。必要以上の緊張を自分でつくる。首・肩を緊張させて痛みに構える。中には痛くもないのに必要以上に緊張している人がいる。予測と制御は活動するときの基本。その基本を正確に行っている。ポーズはその場その場で対応すれば良いのだ。痛かったら緊張する、痛くなくなったら緩める。この繰り返しをすると良い。
もっと上手になれば痛いのに緩める。
機関紙クリシン35号の六中観(苦中楽あり)と同じ心境だ。これは人生の極意だろう。ヨガがその練習だといわれる所以(ゆえん)である。辛いことを喜んでする。この辺は人以外の動物には理解できないであろう。動物に近い人も理解できないであろう。犬、ネコはそれぞれの名前がついているポーズがあるが、彼らは決してヨガのポーズを意識的に絶対しない。つらいからである。無理にさせると噛み付く。これは彼らの理解力の問題だ。
ヨガのポーズには緩めるポーズが多い。お風呂上りは体が柔らかいという。構えていないから気持ちが緩む。体も緩む。酔っ払っているときも機嫌がいい。(で、ない人もいるが)構えてないから転んでもケガは少ない。ヨガのポーズもそんな緩む気持ちでやってみるとよい。痛くてスジがちぎれそうなときは、これも構えないでスジをちぎってしまえば良いと思う。プツーンとちぎれて離れていくときって気持ち良いものだと思う。のびのびという言葉があるように解放系である。からだも団子状態よりのびのびを理想としよう。教室で痛くてちぎれそうと受講生は表現するがそんな時「ちぎってしまえば」と言う。「落ちるがごとく」である。ちぎれないように構えるから痛いのだ。ちぎれるそのてまえを楽しんでみよう。
(2005-06-03)