からだが硬い人のために
ヨガのポーズを指導していて体が硬い人がいる。気の毒なくらい関節がロックしてしまって、どうやったら動くのだろうかと思案することがある。硬くてもあきらめないで続けてもらっているが、決して関節は緩まない。それでも長く通ってもらえるのはなにか効果があると思うので聞いてみると、終わった後、気持ちがいいという。指導する側としてはそれで十分なのだが何か物足りない気持ちがある。どうしたらロックした関節がゆるむのか、そしてその可能性を何とかさぐりたいと思っていた。
先日、学院で勉強会があった。H.Sさんは受け持ちの「鳩のポーズ」を数週間前からレッスンの始まる前30分くらい練習をしていた。私は勉強会での成果はあまり期待もせず、プロセスや気づきなどを発表してもらえばいいと思っている。しかしそのチャレンジだけはすごいなぁと練習を見ていた。まだまだ完成までいかない足を持つポーズを繰り返していた。ポーズというには程遠い状態である。別に足なんか持てなくてもいいのにというのが私の感想であった。
ところがいつの間にか勉強会が始まる前には、写真で見るようなポーズをつくってしまったのには驚きであった。この手の難度の高いポーズの勉強会は参加者がただ見ているだけでチャレンジの対象外になってしまう。参加者は一応、自称柔らかいと思っている人たちであるが、肩が、腰がロックしてしまって動かないのだ。そしてあきらめて、見学するだけである。そしてH.Sさんは特別に柔らかい人であると、結論付けてしまうのだ。
数週間、H.Sさんを見ていた私は特別な人と思えず、ただ努力の人で、小さい動きを繰りかえしていた。その小さな動きが山を崩すように大きな肩の可動性となって完成ポーズを作ってしまったのである。
それでは画像を見ながら説明する。Aの写真は足の小指を逆手(手の小指が上)で持っている。(手の親指と人差し指でつかんでいる。)そしてこの一連の動きの中で注目してしてほしいのはAとBの流れである。普通は肘がロックしてしまってBにならない。それを小さな肘の動きを繰りかえし、腰の連動、あごの連動など少しでも動くということを知覚力、識別力を動員する。その延長がCであり、Dなのである。彼女いわく、のどのところが引きつれるように伸びるのが感じられるという。
この観察は数々の教えをいただいた。肩の柔らかさは腰の柔らかさにつながるし又、首の柔らかさにもつながる。少しづつ、識別力を発揮させながら緩むのを待つように繰り返し動き続ける。あせる気持ちで少しでも力を入れるとその痛みは数日間、動かせないほどのダメージを食らう。力を入れないでその範囲を知覚し、そして範囲を広げていく。「無理せず、無駄せず、続ける」というヨガの名言がそのまま当てはまる。
ヨガはアサナ(ポーズ)を作ることだけではないが、どうしても柔らかさに目を奪われてしまう。この柔らかさであるが人によってもともと柔らかい傾向の人がいる。なんでも一応こなす人である。このような人は注意すべきである。
じん帯などが緩んで動きに抵抗がないのである。筋肉本来のしめる力も弱い。そして何より動きのつながりがわからない。知覚できない。逆にいえば体の硬い人は幸いである。柔らかくする楽しみがある。識別力が高まるのだ。硬い人は自信を持ってチャレンジしていこう。知覚、識別力を高めていこう。
ちなみに識別力、知覚力は動物の世界では生命力である。餌を取るのも、敵から逃げるのも識別力である。人の生きるという感受性は文明の発達と共に失われつつある。別に感じなくても、誰かが助けてくれるからだ。みずから人生において学習し、何かを達成していくためには微妙な違いを区別する能力が必要だ。それはリラクセーションであり、集中力でもある。とらわれたりしているとそれは鈍る。
(2004-09-15)