最近のヨガ事情-ヨガの本質
世の中、再びヨガブームと言った感じである。セレブというハイセンスな人たちが火付け役になっているとか。そこにパワーヨガとかアシュタンガヨガとか新しいジャンルのヨガと思いきや昔からあったものであった。
私は沖先生にヨガを習った。俗に言う沖ヨガ出身者である。ひと昔まえはいろいろな創始者の名まえのヨガをつけたものだった。それが今は多様化されて古臭い名まえなど化石になってしまった。でもこうやってブームが再燃されると沖先生のヨガは古くて新しいヨガでもあることがわかった。
例えばリラックスだけがヨガかといえば沖先生のヨガはめちゃくちゃハードな強化法というのがあった。筋力強化、有酸素運動どころではない。それもきちんと集中力と呼吸法を伴う「三密」訓練(ヴィンヤーサ)である。怪我をも辞さないくらいハードであるが、誰も怪我をしないのが沖先生の指導力である。世界各地で修業されヨガの本質を体得し、独自のヨガジャンルを作られただけある。
今、流行のアシュタンガヨガは太陽礼拝体操という連続ポーズを基本にしている。スーリア・ナマスカーラ(太陽礼拝)は呼吸と動作を一体化して繰り返し、少しづつ繰り返しの中に入れるアサナを変えていく。そして一種の精神的トランス状態を作っていく。瞑想状態である。これは何も特別のものではなく、イスラム教でも比叡山天台宗でも五体投地というのがあって数百回、数千回行う「行」がある。
この宗教的儀式を現代風にフィジカル的、メンタル的な効果が生まれることをねらいとしたスタイルにアレンジしたところはやっぱりアメリカのセンスが光る。これにより筋力効果、引締め効果、脂肪燃焼効果、有酸素効果などが生まれ人気になったのだと思う。あるグループではサウナ状態でヨガをして大きな効果を出すところもあるという。
呼吸法はウジャーイという呼吸法がとられている。これはのどの奥で擦過する音を発生させて胸郭に圧力をかけて気管を広げる呼吸法をする。これは集中力を高める働きがある。腹圧が高まったときに、やりやすい呼吸法で空手、柔術系でよく取り入れられている。
ところでアシュタンガとはサンスクリット語で8つの規則という意味である。
「八支則」といってヨガの訓練の段階を言う。これはヨガを学ぶものにとって基本項目である。道徳的訓練、体の訓練、そして心の訓練と深さを増していき、究極をサマジー(三昧)としている。当学院では深く学ぶクラスでは必須である。
八支則の3番目のアサナは体を整えること、瞑想ができるような体をつくる意味がある。4番目はプラナヤマで外から入れるエネルギー、生かされる力のことで、呼吸や食事、食養法のことである。次のところから瞑想的要素が強くなる。5番目は制感法として感覚をコントロールするとしているが、感受性を高めることも含まれる。6番目は集中法、7番目は解放、放下、静慮といって無のことである。ディアナと言うが、これが中国でなまってジェンナ「禅那」、日本に来て「禅」となった。
そして8番目がサマジ、生きていることが楽しくて仕方がない、沖先生は「生命則神」といってサマジ(三昧)を理解した状態を説明された。(沖先生は独自色をいつも強調され、八支則といわず、十段階といわれた。中身は省略。単行本「ヨガの喜び」参照。)この八支則を理解するとヨガの基本はかなりの部分が瞑想であることがわかる。静かに座る瞑想もあれば、アサナや動き、仕事であっても瞑想できる。そしてその究極は生かしあいを大悟することであろう。
インドには世界最古の哲学がある。ウパニシャッド哲学と高校時代に世界史で習った。梵我一如の思想である。バラモン教や仏教、そしてジャイナ教がそこから生まれた。沖ヨガ道場時代には生命即神の講義と一緒にブラフマン、アートマンの一如を何回も聞いた。生きていることは生きる力、生かされている力のバランスだと言う。ここに感謝や懺悔という意味の深い言葉が存在している。
われわれみんな、まだまだ未熟者であるけれど、ヨガを学ぶもの、体操的なところから心のあり方などにも興味を持ってほしい。アクロバチックなポーズだけを追求するのなら器械体操や新体操など奥の深いものがまだまだあるのだから、そちらで訓練すればよい。最近、送られてきたファッショナブルな本に八支則のことが出ていてうれしくなった。
(2004-07-11)