「ガイアシンフォニーV」という映画と自然分娩の講演会に出かける。
産科の医者の講演会の内容は支離滅裂であった。
しかし彼が自然分娩の医療をしていることから考えると理路整然としていないところが本質であるような気がした。どうなるかわからない、その場その場で手当てしていく。こちらが主ではなく、母体赤ちゃんが主人公であるのを手伝うというスタンスに立っている。そんなふうに考えると講演の進行も普通でないのが理解できる。
彼はしきりにお産は理屈通りに進まないから神秘性があり、わくわくすることばかりだという。医療側のペースでお産をすると計画、過剰処置のしすぎ傾向になってしまう。そしてそれが医療事故になるのだという。
お産はスピリチュアル(霊的)なものであり、セクシュアル(快感)なものであり、スリリングなものであるという。この言葉は何もお産だけでなくヨガの時も生活の時も大事なことなのだ。現代はあまりにも科学的で打算的で計画的である。そしてそれが文明だと全てを肯定している。人間というスピリチュアルな部分を無視している。だからいろいろ問題が出てくる。ノイローゼ、病気、教育問題が現れるのだ。もっとスピリット、霊性部分を認めなければならない。例えば罰があたると言う考えや生かされている、感謝という広い考えがそれにあたる。
ある聴講の医療関係者が自然分娩をしたいのだが大多数のお母さんがたが医療介助を希望しているという質問があった。講演者の答えは教育していないからだとこれをずばり本質をついた回答をしていた。
ヨガ教室の60代の人とこのことを話したら、自分の出産の時は陣痛促進剤を無断で打たれ、あっという間に赤ちゃんが出て、それを医師は自慢風にどうだ楽だったろうと言ったそうだ。彼女はあっけにとられ何ということをしてくれるんだと後悔だけが残ったという。この物質的科学的行為がマタニティブルーをつくり、育児拒否につながり、少子傾向に拍車をかけるのは当然のことだと講演者は言っていた。
今回の催しはたくさんたくさんの気づきをもらった。
この講演会で途中で出て行った人が数人いたが、確かに普通の講演会ではなかった。メモも取れるような内容ではないし、ただぽかーんとあっけにとられて聞くだけであったが、私にはそのパワーはすごいということの一言であった。
話を聞いて情報を取り入れることに慣れてしまっている我々は自分を変えることが出来ないでただ自分の価値観の上に情報を重ねていくだけが普通の講演や話しであろう。この講演は自分の価値観を崩し、作り直し、そしてそれを広げていくような内容であった。途中で出て行った人は自分を変えることができなかった人たちであろう。
自分がこの講演から受けたエネルギーをヨガ指導にそして自分の生き方に参考にしたい。スピリチュアル、セクシュアル、スリリング、これがキーワードである。
講演と付随して「ガイアシンフォニーV」という映画の中でもたくさんの気づきがあった。 ハワイからタヒチへ古代航海法で航海する修業の中、5000キロ離れたタヒチが見えるかという修了試験も気にいった。「見える」という信念、確信こそが暗やみの中の船をタヒチへと導くのだ。いつしか現代に生きていると科学的発想によって、次から次へと希望は潰されていく。科学は予測と制御だけを武器にした確率論なのだから。だから希望や夢は科学の次元で考えると茶番なのだろう。
人間は、霊なるもの、の集合体であることを納得させられた。そこには見えるものがあり、見えないものがある。大きな宇宙の意志に、神の意志にゆだねられた小さな存在がけなげに生き続けていくことを許されている。この映画は次の言葉が標語になっている。
「多様なものが多様なままに共に生きる。これが生命の摂理であり、宇宙の摂理である。」
(2003-06-16)