型(かた)について話をする。茶道でも華道でも武道でも型がある。ヨガには型があるかというとない。ポ−ズが型かというとそうではない。型はここから応用が出来ていくものだ。ポ−ズのように独立したものではまづい。
それでヨガの練習項目に連続ポ−ズというのがある。月の礼拝、太陽礼拝体操などは代表的だ。これを型にしようかと思っている。
この動きは体操という名前がついているが、力や無意識でするのではなく、丁寧にゆっくりと感じながら、微調整をしながら行なう。数回行なうと、体も心もほぐれてくる。
普段、ヨガをするときにいろいろと体のほぐしを行なう。ポ−ズを作りながらほぐしをするときもある。部分的なストレッチや関節の動きでほぐしをする時もある。
しかし連続ポ−ズは奥が深い。繰り返し動いているうちに体の微妙なところが作動点になることがある。
どういうことかというと、例えば反るというとき当然、体の連動を考えて意識を全身に巡らして反るわけだが、あるときこの連動から思いもつかないところ、例えば肘を意識すると非常にスム−ズに動けるようになることがある。この動きは肘が作動点になっているのだとわかってくるとうれしくて仕方がない。
反るポ−ズを単独にしたとき肘を意識しても作動点にならない。この感覚が身についたときこの作動点は大きな力になってポ−ズが作りやすくなる。
型は繰り返し行なうことで点の動きを線の動き、面の動きになっていく。思いもかけない新しい動き、感覚が生まれてくる。基本が大事ということだ。ただ無自覚に繰り返し行なっても新しい発見は得られないだろう。好奇心と感受性があるところに無限の可能性がひそめられているような気がする。
「才能とはいまここでこのことに対して新鮮な興味を持つことのできる能力である。」野口三千三
(2002-10-12)