伸ばすということ


ゴムヒモを伸ばしてみると、どこから伸びるのか、どこが伸びて、どこに力が入るのかを応用して、アサナに取り組むことがあります。どんなアサナにも当てはまります。要は体の感受性です。

初めから形があって、目標どおりその形をまねて力づくでやるということをしていては感受性は身につきません。やさしくそぉっと力を入れてみると動きだすし、力がこもるのもわかります。初めはとんでもない形でも少しづつ、粘土細工をしていくように丁寧にあっち、こっち動かしては戻しいつの間にかそれらしい形になっていくって楽しいことです。またはときには、どうなっていくかわからないというのも、面白いものでそのときそのときの思いつきで変わっていきます。生き方や旅にも似ています。レールの上を歩くより、試行錯誤する楽しみ。。

そして力を入れたり抜いたりして力がこもるべきところと入れてはいけないところがいつの間にかわかってきます。体の中で力がこもっていいのは肛門と、腹とのどだけです。この3つを絞める動作をウディヤナバンダといいますが体が伸びるときはここから伸びていくものです。又この締まるというのは大地とつながる感じが必要であることはいうまでもありません。それでアサナを作っているときは床と接している部位に特に意識をおきます。そうすると必要なところが締まってくるのがわかります。同時に緩むところ、伸びるところが動きだします。ゴムヒモと同じです。

アサナを作っていて肩が痛いとか首が痛い、腰が、とかはこの締まる、緩むという感受性が弱く、自分の思い込みで、力ずくで、自然(重さ)を感じないで行っているように思えます。そんなときはまだまだ神経系、イメ−ジ系の改良の余地があります。その改良にいたる自らの試行錯誤ははひとつのことだけでなく、いろいろな事柄の改良につながっていきます。教えられるより気づくことの大切さでしょうか。自然という重さは動きの中でいろいろなことを教えてくれます。出来ないことはまだまだ楽しいことが残されているのです。
(2002-04-10)

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