(ねじりと前屈のポーズを使って)
私たちは文明の中にいて自然現象をある程度の予測ができても自然そのものをコントロールすることはできない。
風水害、地殻変動にそして生死についても大自然の前には無力であり、ただ受け入れるだけである。
そのような私たちが自分の体という自然に起きてしまった不都合すなわち病気、困苦にできることは自然に対して優しくなることしか対処できない。注射や薬でさえ、それが効力を発揮できるか否かは自然というからだにお任せ状態なのだ。私たちはやさしく見守ることしかできないのだ。
病気に対する治癒力を高めるたり、からだを思い通りにしたいときにはやさしくなる必要がある。自分が優しくなったとき体は癒され、柔らかくなっていく。
やさしくなるふりをするのではなく本当にやさしくなることである。その時、体も中身も変わっていく。
マッサージをするとき気持ちいい感覚がからだを癒す。決して力で筋肉をほぐすのではない。
気持ちいいことをすると次に頑張ろうと思うことができる。しかしつらいことをしていると次の行動につながっていかない。わたしたちは今を生きるのであり、次につながる生き方が大切である。次に生きるために今を最高に大切にするのである。
やさしくなるレッスンをしよう。
二人組みになる。 握手をして優しい手であることを確認する。もっとやさしくなろうとする。日本人は触れるということが不得手である。だからおじきをして触れることから避けようとする。同じ民族だから敢えて触れなくても気持ちがわかりあえるのだろうか。触れるのがへたくそである。握手をすると力強く握ってしまう。
手はその時のその人の気持ちを表わす。気持ちを手で表現する練習をしよう。
その優しい手でねじりのポーズをやりやすくできるように手伝ってあげよう。
自分も相手も優しくなるはずだ。
長座を作り、腰が立つように膝が軽く曲がるようにアプローチし背中を下から上になでる。
手が優しくアプローチして、ねじりをしやすくもっていく。
背骨を垂直に立てて左右に揺すると力が抜けているときは体は揺れについて揺れてくる。しかし緊張しているとバランスがくずれる。何回も揺すって緊張を解きほぐす。
徐々に直立が楽になってくる。直立は左右の動きに適応している安定した形なのだ。 相手のポーズの完成度が変わるとき、すなわちねじりの角度が大きくなるとき、自分の位置も変わっていかなければならない。
相手だけを変えて自分だけは変わらないというのは不遜である。自分が変わると相手は変わりやすいのだ。もっとサポートしやすい位置を探す。
次にねじりのポーズをやめて前屈のポーズを作る。
このときも優しい手で背中をさすり安心させる。膝を曲げ、そけいぶを軽く折り座骨を後ろへ反らせようと軽く引く。
両人が優しくなっているとき、その力と動きは追随していく。腹と腿は密着し背中は緩んで楽に前屈の形になっていく。膝は曲がっていてもいいのだ。
このように自分を大切にした優しい動きを作ると目が楽になり、ほとんど体操らしいことしていないのに体が楽になり呼吸までも楽になってくる。
当然一人でもできる。自分と話をしながらからだも気持ちも優しくできるはずである。これは受講生の感想である。
(01/09/17)