耳の聞こえない人のために
聴力障害の人たちのヨガ指導をした。
耳が聞こえないだけで他は何も変わらない。指導が終わってからの感想は気持ちよかった。又受講したい。他のところで受講できないかなどと質問が来る。耳が聞こえないというだけだから、教室の指導者に事情を話して参加したらいかがですかとアドバイスした。
当然、困難は伴うけれど、ヨガ受講は見よう見まねでポーズを作る。ポーズをつくるよりどころは耳ではなく、身体の皮膚感覚である。確かに五感(見る聞く匂う味わう触れる)はそれらが互いに関連しているけど、その内ひとつや二つ欠損している分、それ上回る感覚が鋭敏になっているはずである。(私の資料集に以下の文章がある。欠陥について;欠陥は可能性を高める。すべての人間は障害者であり、病人であり、老人である。比較論、平均値から離れても人には代償作用がある。病気になるとは欠損だけではない。それで癒しを行ったり、シャーマンであったりする。欠損は有効である。)
しかしヨガを受講する上で聞こえないということは一般の人たちとの対応は大きく異なる。それは仰向きになって、くつろぎのポーズの時や、下を向いたポーズの時である。耳は聞こえないから目だけが頼りである。
くつろぎのポーズのときは隣の人に合図してもらってもいいと思う。または教室内の照明で合図する。徐々に時間をかけて明るくすると相手にもわかる。くつろぎのポーズは普通の人でも寝込んでしまって眼を覚ますことができなくなってしまう人がいる。いびきは迷惑だが。。。これは突っつくに限る。
下を向いて見えないときは、これは指導の工夫が必要だ。この工夫は通常でも私は行っている。皆さん見ようと目に頼るからだ。下を向いたり、首を固定したポーズを作っているときでも受講生はこちらを見ようと無理な姿勢をとってしまう。危ない姿勢でもある。このようなことにならないように、デモンストレーションをするのである。まず、私がするのを見てくださいと。それをイメージに入れて、次は皆さんがイメージに焼きついたように、自分の感覚を頼りにポーズを作ってください、このように言う。
一般に私たちの生活は目に依存することが多い。テレビやパソコン、携帯が広く深く浸透している。だからヨガポーズのときでもできないことに出会うとすぐに見てしまう。見ることは大切である。しかしそれからそのイメージをよりどころにして自分なりに最良の動きを作り出していくことがより大事ではないかと思う。見れば答えはひとつだが、自ら作っていくことは試行錯誤で多くの動きからより良い動きを選択していることになる。脳の回路選択も多岐にわたって、脳を十分に使うことになる。そして身体の感覚も鋭敏になる。
聞こえない人のあとひとつの欠損は平衡感覚である。これは耳の機能の一つだからやむをえない。できるだけ目の機能を使って視点を固定して平衡感覚の代償として活用するといいだろう。あと歩く時に左右に触れての歩行困難の場合も一点凝視の方法をとれば幾分か解消されると思う。瞑想でも黒点瞑想や阿字観という一点を見つめる瞑想法がある。心の浄化を目的とする方法だ。
(2005-11-19)