ある日の研究会

 教室の勉強会で野口体操を取り上げました。研究会のシステムは研究生がテーマ毎に内容を決めて、発表・シェアをします。当然私もその内容を補足する形でコメントを入れたりします。今までに数回同じテーマを繰り返して行っていますが、それぞれがとても新鮮で新しい発見が得られます。
 まずはじめは開脚のテーマでした。さすが皆さん、見た目は柔らかくてこれ以上に発見がないようにも見えましたが、人によっては無理があったりします。ちょっとしたところが盛り上がり緊張が私には見えてきます。ヨガは見せることでなく、自分が本当に気持ちがいいのか、重さのふるさとのの地球と仲良しをしているのかが大切です。たとえ柔らかさがなくてもおかれた立場・状況でやさしく体の隅々まで暴力のない素直な気持ちを持ち続ける時間を大切にしたいと思います。その動きの中で瞬間的に無理であったも小さな動き(呼吸法含む)を繰り返すことで可能性、可動域が広がっていくのです。
Gensyoseimei
 尻歩きは長座姿勢になって片足ずつ前に出してお尻で歩いていく動きです。しかし歩くことばかりに集中するのでなく、尻を上げ下げしていると面白い現象に気がつきます。尻が床に着いている方は身動きできませんが反対の方は浮いていて自由なのです。この自由は別に前に進まなくても、後ろに動き始めても、横に移動し始めてもいい可能性を持っています。そんな動きを足踏みのように同じところを繰り返していると楽しくなってきます。繰り返すことの面白さは好奇心です。決して退屈することはありません。ほかの動作でもまた日常の退屈な作業でも通じるところがあるでしょう。
 野口体操ではイメージとは言葉にならないものを想像予感すると言っています。イメージが膨らむために擬音語を使う話しが出ました。これはちょうどNHK「オノマトペが切り開く世界とは」の番組を参考にしたそうです。今春の朝ドラ「あまちゃん」で「じぇじぇじぇ」が大流行しています。これも驚きの表現だそうです。「そーっと」も「パーン」も動作を表現する言葉です。フランス語でオノマトペというそうです。私は言葉にすることはイメージを伝達し記憶のために固定化するものですが言葉にならないイメージは可能性がどんどん広がっていきますが変質したりどこかへ行ってしまうものと思っています。このオノマトペはイメージと言葉の中間にあたるものでしょう。
 私はこの研究会の下調べをしていて面白いことを見つけました。野口三千三さんは筋肉は運動器の前に感覚器であることと言っておられます。筋肉バカにならないために繊細な筋肉を養う必要があります。私にはこれこそがヨガなんだと一人合点をしています。ほかにホトケの語源を日本語の「ほどく」に見いだし、心をほどくことでとらわれのないの世界が得られることを見つけた日本人の発想の豊かさに驚きています。このひらがなのすごさは他にも物事を分けることができたときにわかると言う言葉を作ったのも同じです。例えば双子の区別(わける)がついたときに「わかる」というようにわかる・わけるの語源は同じなのです。臓器の名前を経絡から借用した知恵も同じようにすごいことです。(http://mizunoyoga.no-blog.jp/karadanotikara/2011/12/ohashiatsu_5f59.html)
もっと日本語を勉強すべしと以下の本を手に入れました。
Hiraganade
 今回の研究ではスキのポーズの作り方で自分だけができないやり方があったことはショックでした。それは仰向き、腕を耳横において足を上げ足先を床に着ける動きです。私のできない動きの課題がまた一つ増えました。