恩師の悲報

 年末近くになり喪中はがきが来るようになりました。その中に大学時代の恩師の悲報もありました。私には数多い師の中で彼は特別の存在でした。
 直接学んだ期間は数年間でしたが、まだ甘い考えが漂っている青年期にとって師の生活態度は当時の自分にとって驚くべきものでした。今でこそそのような活動をされている人は多々いるのですが、私にとってははじめて近くに見る方でした。
 決して役職に満足する存在ではありませんでしたが、朝早くから夜遅くまで学生を相手に手取り足とり、本当に学生を連れてあっちの研究室こっちの研究室に連れていき、機器の扱い方をアドバイスをし、その合間を見て自分の研究、そして学校の会議や事務作業です。師が椅子に座っている姿、食事をしている姿を見たこともありません。個室研究室にはナイロンのサマーベッドが折りたたんで、隅に立てかけられていました。週のほとんどが泊りこみと聞いたこともあります。このような生活は今では研究者にとっては普通の生活かもしれませんが、その後の私の人生に大きなモデルになったことは間違いありませんでした。
 喪中のはがきをもらってすぐに電話をご自宅に入れさせていただきました。奥様が出られて、ご挨拶だけと思っていたのですが、師の思い出が尽きませんでした。師にとってたぶん私は手がかかったと思います。テーマ報告書はなかなか出てこない、時々行方不明になる(山登りに行っていた)一番忙しいときにアルバイトをしてしまう(このときは師がやめろといって迎えに来てくれた)、就職はなかなか決まらない(師の紹介で決まった)。そのような学生だったことを話をしました。
 その後、師は他の要件も兼ねて札幌にも来てくれたりしました。大学に在職中は上京した折は私は師の好きなお茶をもって訪問もしました。大学退職後は大阪の会社で相変わらずの研究を80歳まで続けられたことを年賀状で聞いていました。その文面は「相変わらずの研究です」という文でした。
  先生のご冥福をお祈りします。
 この場での一文は不適切かもしれませんが私を育てていただいた方の生き方を紹介しました。