ヨガをする目的

大きなテーマですが身近な問題です。
最近、70歳くらいの男性から上達しないから面白くないという質問を受けました。よく聞くと1週間に1回くらいしかヨガをしないのだから、残念ながらその回数なら進歩まで行かず、現状維持でしょうね、と答えました。
それよりも、ヨガをやったら気持ちいいですか、と聞くとそれは気持ちがいいし、体調も良いとのことです。私はそれでいいのではないですか。気持ちいいことが一番です、それに喜びを感じてくださいと答えました。
仕事をバリバリとこなしてきた男性にとって向上して行くことは今までの現役時代では当然のことだったのでしょうが、家事をしたり家族や知り合いとともに、また趣味に生きるというのは毎日が快適であるが大切なことになってきます。
この生き方に上手な人たちは家事をしている女性です。家族が快適であるように、掃除や布団を干したりしていますし、健康であるように料理や部屋の温度や衛生に気を配ってくれているはずです。
目標を持って生きることはとても大切ですが、その毎日をいかに生きるかは、快適に生きることだと思います。先を思い煩うことなく、「今をここに生きる」は心の安定に大切なことです。先ほども90歳を超えた女性が「今日も生きてヨガに来ました」と教室に入ってこられました。誰かが私も同じですよ、一寸先はどうなるかわからないものねと返事です。そういえば眠りの誓いにも、今日生かさせていただいたご恩、学ばさせていただいたご恩に対して感謝させていただきます、というのと同じだなと思いました。
ヨガをするのに強くやわらかく、ポーズを理想状態に完成させることはとても大事ですが、これは単なる目標であり、私たちに必要なことはポーズを作るプロセスが大切だと思います。瞑想という行為は悟りを得るためですが、誰もそこに目標を置いていません。今を大切に黙々と瞑想しているのです。そして終わった後の開放感と満足気持ちよさがまたやってみようと思いになるのです。ヨガも同じだと思います。どうぞそのような生き方もあることを生き方の選択肢の中作ってください。
OreinohagakiHagaki2

一流のプレイヤーの共通点

Itiryuunojouken_2
今日の朝の新聞です。一流のための条件は自分を客観視できるかどうかだとのことです。平静で落ち着いているときは自分はどのように見られているのか、服装は、言葉遣いは、顔はきちんと作っているか、ひげは剃ったか、また歩き方は、姿勢はと言う風に理性でもって客観視できるのですが、パニックになるとまくらを持って家を飛び出すことになりかねません。
私たちの日常はそれほどパニックになることなく、坦々と過ぎて行くのですが勝負師的なプロスポーツ選手は日常がパニック状況だと思います。
実は私たちもヨガのアサナを作るときに結構パニックになることがあります。痛い、苦しいという状況のときに自分のことしか考えていないことがあります。そんなときに幽体離脱ごとく、天井の片隅から自分を見てみると意外と楽になることがあります。つらいときは新聞の一流プレイヤーも同じように「我」の世界になるのですが、普段から別の自分が自分を見ている習慣を作ると変な癖が直るかもしれません。
そういえばこの発想は「インナーゲーム」(ガルウェイ)でセルフワン、セルフツーで自分を客観視する方法が書いてありました。つながっている体、集中力

映画を見た

お正月に映画ロビンフットを見ました。見ているうちに小さい頃読んだ「ロビンフット冒険」の本の場面がありありと浮かんできまます。映画のようにかっこ良くなく、代官との戦いに終始していたような気がします。名前もリトルジョンとか僧侶も本の中にたくさん登場していました。(映画では少なかった)本の中ではシャーウッドの森の中は奥深くてロビンフットとその仲間の世界だったという物語でした。
この映画は史実にも基づいて作られているようです。例えばマグナカルタという(むやみに人を拘束してはいけないなどという国民の権利を定めた)現英国憲法の一部がこの場面で提案されています。この提案に怒った王様がロビンフットを放逐、罪人、無法者アウトローにしたという最後のナレーションでした。
Robinhoot_movie
ここで連想ゲームになります。ローマ人物語(塩野七生著)も二回目となると少々飽きてきますが、今はカエサルのガリア戦記3年目で映画のシャーウッドの森と同じようにガリア(フランス辺り)は深い森の中でガリア人、ゲルマン人と戦う場面です。そしてガリア人の裏切りに対して皆殺しと従順であれば寛容友人扱いという二面作戦でライン川の西側のヨーロッパを支配します。ついでにイングランドにも上陸しますが視察程度です。しかしガレー船100隻,10000人という大軍です。ガレー船というのは地中海世界の定番の櫂の付いている船で相手のガリアの船は原始的な帆船です。カエサルの圧倒的勝利です。この年(BC55年8月26日)が大英帝国建国の日になっているのは面白いことです。この時代は日本は漢之倭之那之国王の印字をもらった年から100年前、三国志の時代から300年くらい前です。
今読んでいるところは戦いの場面が多いのですがカエサル5万、ガリア集団10万人が戦い、この10万以上が全滅するのですからスケールは大きくて、異民族同士の戦いなので戦闘員が全滅するとその民族(住民女子供)は抹殺に近い状況になります。日本史の大きな戦いは関ヶ原の戦いで徳川と豊臣の戦いで両者それぞれ8万くらいですが死者はあまり多くないと思います。これは武将同士ですから負ければ退却、切腹でおしまいです。日本では仲間意識があるので戦闘が終われば後は話し合いです。しかし古代ローマは野蛮人相手ですから人間と見ていなかったのでしょう。極刑でもって見せしめもありました。世界中の戦闘とは西欧だけでなく東洋、中国もそのような歴史を持っています。日本も太平洋戦争では同様な互いが住民を含めた悲しい戦争があったことを思い出します。
12世紀のロビンフットは鎌倉時代とほぼ同時期です。ヨーロッパではイスラム教に対して聖戦を行う十字軍の時代です。映画ロビンフットの中でも十字軍がありましたが、武士、騎士階級の登場は世界史的に同じなのでしょうか。
ローマの歴史を見ても十字軍のイスラムとの戦いを見ても、またまた近代、現代を見ても殺戮の歴史があるのです。なんと人は残酷な存在なのでしょうか。それに比べて日本人は先にも述べた戦争を体験しましたが、総じて平和を愛する国民と言えましょう。幕末に坂本龍馬の提案である大政奉還が無かったら明治維新ならぬ、日本の地は殺戮の焦土、列強の帝国支配になっていたかもしれません。
ローマ人物語の著者塩野七生は去年から十字軍物語を書き始めました。読みたいけれど、本屋さんでちらちら立ち読みしている程度ですが難しそうです。
しかしイスラムは地上最大の宗教ですからこれからは勉強する必要はあるでしょう。