体が硬い人のためのヨガ・・・本の出版

 おかげをもちまして、本当におかげをもちまして「体の硬い人のためのヨガ」の本の出版にいたりました。本当にご縁を感じる1年弱でした。昨年晩秋に縁あり、たくさんの出版社様を紹介していただき、縁あり、企画書を作ってもらい、出版社様からお話をいただき、実らず、またいただきを繰り返し、現実になりつつも、信じられぬまま、作業に入り、雪解けからゴールデンウィークにかけて、新規執筆、だめ直し、校正を繰り返し、写真を700枚撮り、ポーズの線画を書き、支離滅裂の文章に自己嫌悪に落ち入り、締め切り間に合わずレッスンをさぼり、思い違いをしたり、言い訳をしたりエトセトラ。そしてたくさんの支援のもとで完成した本です。
 出版されてからもばたばたは続きます。おめでとうと言って20冊、10冊と注文をいただくのです。ありがたくせっせと荷造りです。本が200冊届いたその日に100冊出てしまい、4ヵ日目に出版社に追加注文です。これとてあまりもちそうにありません。楽しみにされている水・木曜日の受講生の皆さんは2週間も手に入らない方も出てきました。本当に申し訳ありません。まだまだ申し訳ないことはサインです。はじめは練習してないからパスと断ってきましたがその内、大胆にもボールペンでサインし始めました。それもえらそうに格言付きで。だれかにサインペンぐらい用意したらとアドバイス。そうなんだ、サインはサインペンなんだよなと初めて気がつく始末。まだサインペンは買っていません。至らぬところばかりすみません。
 浮かれてばかりいられない昨今です。学院での企画もがんばらなければ。そして協会のお仕事もたくさん秋に向かって目白押しです。
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 ところでイラストの写真はかわいいお姉さんに仕上がっていますが、実はポーズはすべて私の写真をイラスト化したそうです。どうりでだめポーズは真に迫っていると思いました。

学習すること

地下街の広告の写真です。別に某新聞の回し者ではありません。いろいろな講演会に参加したり、本を読んでいて、すごい人がいるものだ、どうしてそんなことに気がついたのかと感心することがよくあります。
「自分の意見は他人の意見を・・・・」の文字が目に入ってきたとき、そうだ、そうだと変に感心してしまいました。よく講演会等で私のオリジナルですという考えをとうとうと述べる人がいますが、やっぱり眉唾だとわかります。どこかにネタがあるはずです。普通はこのネタに感謝して、誰それ先生の考えを参考にして自分はこのように考えるようになりましたと言えばその人の謙虚さが見られるのです。書籍にしてもたくさんの引用があればあるほど、著者の博識が見え隠れてしてきます。
ところで私のヨガのポーズは決してラジオ体操形式のように機械的に動かしているのではありません。感覚をもとにして動きを学習する事が大切だと説く、イスラエル人、モーシェ・フェルデンクライスの書物に学び、それをヨガに応用しました。彼はその動きや考えはまた柔道から学んだと言います。彼は独特のメソッドで体の動かし方を世界中に広めました。彼は動きの中で感じること、比べること、つながることの大切さを説きました。そして人にとって学ぶということは生に対する喜びだと言います。動物でも小さい頃はいたずら好きです。これは好奇心が旺盛なためです。好奇心こそが学習していくエネルギーです。
年齢に関係なく人の話しをしっかり聞く、本を読む、音楽や絵画、博物館など情報を採取することが大切です。共感や感動したならば、それだけ自分が豊かになり、さまざまなところから得た無数の考えが自分の考えを作っていくのだろうと思います。
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親鸞上人

五木寛之作「親鸞」読み始めました。前に丹羽文雄作を読んで当hpの「最近のレッスン」にも取り上げました。(http://www.mizunoyoga.com/gakuin/q23.htm#l134)どちらも小説だから伝記の切り口がずいぶん変わるものです。読みやすいのは圧倒的五木寛之作ですが、親鸞の考えをもっと知りたいと思うのは丹羽文雄作です。丹羽文雄は浄土真宗の僧侶だから当然と言えば当然なわけです。昨秋に空海さんの高野山へ行きました。和歌山県の山の中なのに何か明るい景色が印象深いのですが、比叡の山は京都に近いのに何か暗い感じがします。高野山と比叡山は当時、宗教界の巨頭、空海、最澄が同時に生きた時代の山です。共に密教として修業のお山でした。しかしその後の偉人を輩出したのは比叡のお山で道元、栄西、日蓮ほかでした。最澄の教えには世の中を変えていく要素があるのだと思いました。
私が読んだ両著のキーワードは「地獄」だと思います。平安末期の混乱時代かもしれませんが、その「地獄」という言葉は「罰が当たる」と言葉を変えてと近世まで続きました。死ぬことの恐ろしさです。誰もが長い人生の中で後ろめたい言動があったから、浄土、天国に行けないのです。キリスト教に似ています。だから親鸞は祈り、宗教心を高めたのでしょう。浄土に行けるように南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えたのです。

本の紹介

「奇跡の脳」という本は去年発刊され、TVでも著者が出演して話題になったそうです。そんなこと何も知らずに、受講生から偶然、借りて読みました。著者は脳科学者であり、幅広く活躍していたのが、37歳のとき脳卒中になり、再生まで8年かけて、元の職場に復帰したという脳の可能性と神秘性を描いたドキュメントです。脳のことを知り尽くした著者の脳が壊れていく様子を克明に、しかし途中から断絶、そして回復していく様子を表していく中で、私たちが何が生活の中で必要か、そして何が不必要かを体験を通じて教えています。すなわち心のあり方が自分の生命エネルギーを強くしたり弱くしたりすることはヨガのヤマ、ニヤマ(やってはいけないこと、やらなくてはならないこと)と同じなのです。そして睡眠を取ることの大切さも述べています。私のグループは寝ないことを自慢にする傾向がありましたが、これは間違いであること、そしてマイナスの感情がわいてきたら90秒だけが我慢しなさいとさとしています。この間に悪い要素は消えていくのですが、現実の私たちはいつも根に持って、一時間も、24時間もそして何年も悪い感情、憎しみ、悲しみ、怒りを持ち続けています。それは自分自らそのようにしむけていることであってそんな感情とは早くおさらばすべきだと言っています。そういえば私もヨガの時間に、又自分自身でも「グッバイ療法」といって断ち切る行為、言葉を使って思い出さないようにしています。右脳、左脳の考察は面白く、ヨガや禅でいう「いまここで」の大切さを何回も強調していました。
この本は借りるだけで申し訳なく、蔵書にするつもりです。とにかくすばらしい最近にない本でした。裏表紙にはタイム誌の「2008年世界で最も影響力のある100人」に選ばれたそうです。
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雑誌からの情報

文藝春秋specialという雑誌に「血糖値を下げる奇跡の食事法」というのがありました。私の母は高齢で多分、糖尿病からくる心不全だろうということで今年死去しました。それで特別、糖尿病に関心があります。
それには「糖質制限食」という糖尿病治療食のことが書いてあります。すなわち糖質を取るなということです。糖を取らなくても死にゃせんということです。理屈は専門のところのリンクにおまかせして、人の400万年の歴史の中でほとんどが狩猟・採取生活であり、糖質制限生活であったというところに興味がありました。その期間に人の身体が出来上がったとすれば、糖質を三度三度きちんと食することは逆に異常だと言う訳です。けなげにもインシュリンさんはせっせと血糖を下げてくれる訳ですがこれがもう疲れたといって出さなくなったのが糖尿病な訳です。長生きしていれば余計糖尿病の人は多くなる訳です。今日の夕刊に穀物を食べ始めたのは10万年前という記事が出ていました。当時は腹一杯食べた人はいないでしょうね。飽食はごく最近なのですから。
詳しくはhttp://koujiebe.blog95.fc2.com/   http://www.takao-hospital.jp/
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話は変わります。今、札幌は寒いです。でもイルミネーションがきれいです。
帰宅途中の疲れた気持ちが和みます。
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